何やってんだろ?
彼女は時折塀へ向かって手を伸ばしている。不思議に思って近づく。どうやら塀の大部分を覆う常春藤や時計草を手に取っていたようだ。
「ずいぶんと育っちゃってますね」
できるだけ驚かさないよう声をかけたので、安績もゆっくりと穏やかな顔で振り返る。
すっかり白くなってしまった髪の毛は、それでも豊かで柔らかく見える。小柄で細い身体は、夕日に溶けてしまいそうなほど淡い。
淡い、という表現が一番しっくりくるのではないかと、ツバサは思う。
「これも安績さんが育ててるんですか?」
ツバサの言葉に、安績はゆるゆると首を振る。
「いつの間にやらって感じね」
「こういうのって、侍らせておくとブロックとかモロくなっちゃわないんですか?」
「そんな心配はないと思うけど」
「気になるなら、取っちゃいましょうか?」
この家で元気を有り余らせて走り回る子供たち。彼らの手を借りれば一日で終わらせる事ができよう。だがツバサの言葉に、今度も安績は首を振った。
「別に困っているワケではないのよ」
そう言って、少しだけ赤く色づき始めた一枚を手に取る。
「これも何かの縁ですからね。せっかく絡んでいるのに、無理に取ることないじゃない」
「ふーん」
そう言うものかと、ツバサも一枚手に取ってみる。
「でも、なんだかすごい生命力ですね。どれがどうなってるのか、全然わかんない」
人差し指で軽く引っ張ってみる。びくともしない。
他のものと絡まりあわないと生きていけないなんて、厄介な生き物だな。
「なんか、グチャグチャですね。こんなに細いのに、ちょっとやそっとじゃ取れそうにないな」
「そういうものよ」
安績は笑い、徐にツバサを見上げる。
「で? 何があったの?」
「へ?」
素っ頓狂な声をあげ、だが柔和な中にも凛とした安績の瞳に見つめられ、ツバサは降参したように頭を掻いた。
「クッキー作ってたんだけど、ちょっと失敗しちゃって」
照れるように笑ってみせる。だが安績はツバサを見上げたまま、何も言わない。
二人を染める夕日の赤と、色づき始めた常春藤の赤。燃えるようだと表現するほど鮮やかではないのに、なぜだかツバサの目に沁みる。
曖昧な笑みを浮かべたまま何も言わない安績の視線に、ツバサはハハッと声をあげた。
「彼氏とさぁ、ちょっと喧嘩しちゃって」
その言葉に、安績はようやく身を動かす。
「あっ でももう仲直りはしたんです。あの… はい」
口ごもるツバサから視線を外し、手にしていた葉をゆっくりと離す。
「そう」
それ以上は何も問わない安績の態度が、逆にツバサの口を軽くさせる。
「でも、あの… 代わりに変なお願いをされてしまって」
「変なお願い?」
「はぁ まぁ、悪いのは私なんですけど。悪いって言うか、自業自得って言うか」
言ってしまって、本当にそうだと思う。
悪いのは私なんだ。コウに悪気は全くない。全くないのだ。まったく、鈍感なほど全然。
そう思うと、少しコウにも腹が立つ。だが、そもそも悪いのはツバサだ。
夏休み後半からは、ちょっとコウを避けていたところもあった。それなのに、なぜバスケ部の廃部の話をしてくれなかったのかと咎める方が間違っている。そもそもの原因はそれだ。それで二人は喧嘩をしてしまって……
それで、どうしてこうなってしまったのだ?
次第に頭の混乱してくるツバサなどよそに、安績は静かに頷くだけ。
「そう。そうなの」
それ以上は何も言わない。言う必要がないのだとわかっているからだ。
自分はどうしなければならないのか。ツバサ自身もわかっているし、わかっているのだろうと、安績も理解している。
「自分がどうすればいいのかはわかっているのに、でも、ちょっとした勇気を出すのって、けっこう大変なものよね」
そう言って笑って見上げる安績の顔は少し悪戯っぽくって、もうツバサはお手上げだ。
この人にはかなわないよ。
だからだろうか。手のかかる子供たちでも安績の言う事はワリと聞くし、安績の人柄に惚れてボランティアを続けている人も多い。
「そこらの児童養護施設より、よっぽど環境は良いとおもうよ」
以前、ボランティアの青年がそう教えてくれた。臨床心理士の資格を持ち、民間の児童養護施設で働いていた経験があるという。今はどこかの大学に通いながら、こちらのボランティアをしている。
「なにより、伸び伸びしているよね」
彼が言うには、最近では幼児虐待などの理由で養護施設に保護される子供が急増しているそうだ。ゆえに過密状態に陥っている施設も多く、職員の手がまわらなくて、またそこで問題を起こしてしまうケースも少なくない。
「昔はさ、親のいない子供とかの入所が多かったんだけど、今は親がいても会えないって子の方が多いんじゃないかな」
そんな世の中にあって、安績は引き受ける子供を一定数に制限している。特に明確な人数を提示しているわけではないが、自分が引き受けられないと判断した人数以上は、受けないことにしているのだと思う。
そんな安績の態度に非難を浴びせる輩もいる。
「確かに、保護を必要としている子供を拒否するような対応は、施設の在り方として望ましいとは思わない」
ボランティアの青年はそう前置きした上で
「でもね、来る者拒まずっていう態度も、どうかと思うんだ。これ以上引き受けるのは無理だと判断したら、断るのも仕方がないと思うよ」
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